根本創造主として、私のスピリチュアルな世界

神懸かりの体験を元に日々の私のスピリチュアルな世界をご紹介します

俳句は言霊739「蝋梅」・・超天界便り「曖昧な愛の概念を明確し、全宇宙を愛の下に統一することができたのは、始原の根本創造主の掟書き「愛の定義」があったからでした。そして、地上世界で初めてその「愛の定義」を教えたのは、聖家族である私の妻と孫娘たちでした。特に一番上の孫娘の書いた文章は、二年半前に紹介したことがあります。それは進路に関する文章でした。今回は、二年半後、成長し高二の看護学生になった彼女の書いた文章を再びご紹介します。これはたまたま彼女から論文推敲の依頼があり、彼女の文章を読む機会があったからです。タイトルは「真の平和の為に」でした。ご笑覧あれ」

俳句は言霊です。季語を通して、自然や動植物を愛で寿ぎます



日和好し風に香を乗せ蝋梅花



帰りてもその香忘れず蝋梅花



嗅ぐほどに心明るき蝋梅花



蝋梅花切り枝も香り失はず



香り好し色も艶なる蝋梅花



今、蝋梅が咲き出しています。とても香りが強い花で、甘い香りがします。


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超天界便り・・曖昧な愛の概念を明確し、全宇宙を愛の下に統一することができたのは、始原の根本創造主の掟書き「愛の定義」があったからでした。そして、地上世界で初めてその「愛の定義」を教えたのは、聖家族である私の妻と孫娘たちでした。特に一番上の孫娘の書いた文章は、二年半前に紹介したことがあります。それは進路に関する文章でした。今回は、二年半後、成長し高二の看護学生になった彼女の書いた文章を再びご紹介します。これはたまたま彼女から論文推敲の依頼があり、彼女の文章を読む機会があったからです。タイトルは「真の平和の為に」でした。ご笑覧あれ。
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   読みやすくするため、序論・本論・結論と段落分けを明示しておきました。


             真の平和の為に
(序論)
 平和な日常生活を送っている私。しかし、世界では今も苦しんでいる人達がたくさん存在している。例えば、ウクライナとロシアの戦争の関係で家族が離れ離れなってしまった人達や、ミサイル攻撃で家や財産、家族を失ってしまった人達がいる。軍事政権による弾圧で苦しんでいるミャンマーの人達がいる。さらには、気候変動や食料危機などの影響により飢餓で苦しんでいる人達がいる。世界各国には、「平和」とかけ離れている生活を強いられている人達がたくさんいる。
 では、日本国内ではどうだろうか。コロナの影響でリストラされた人達。新興宗教に入信した家族が多額の寄付をしたせいで生活が破綻した家族。円安の影響で物価が上がり生活に困窮している家庭。戦争状態でない日本でさえ、必ずしも平和に暮らしている人は多いわけではないのが現状である。
 交戦権を放棄した日本国憲法が施行されて七十年以上が過ぎた。大多数の日本国民は戦争を経験していないため、いわゆる平和ボケと言われている。多数の血が流れるような紛争こそないものの、先に述べたように日々の生活に困難を抱えている国民は数多くいる。果たしてそういう状況で今の日本は本当に平和と言えるのであろうか。
(本論)
 「平和」と「戦争」これは、紙一重の存在ではないだろうか。これまでの世界の歴史から政治的な歯車が僅かでも嚙み合わなくなると平和のバランスが崩れ、戦争へと発展していった。そう考えると戦争がない現代の日本はある意味奇跡かもしれない。私は、戦争を経験していないが、歴史の授業等で戦争の恐ろしさを学んでいるため、「平和」な生活ができていることのありがたさを実感している。これらの状況を踏まえた上で、実際のところ「平和」とは、どんなことを意味するのだろうか考えてみた。
 平和学の父と言われるヨハン・ガルトゥングによると、平和は大きく二つに分けて定義されている。一つ目の定義は、あらゆる暴力や戦争がない状態を「消極的平和」としている。二つ目の定義は、協力や平等、対話や平和の文化がある状態を「積極的平和」としている。
その一方で、彼は平和の対義語を「戦争」ではなく、「暴力」と定義している。そして、その暴力には三つのタイプがあるとしている。一つ目は、戦争や虐待などの「直接的暴力」であり、二つ目は、貧困や差別などの「構造的暴力」である。そして三つ目は、他者への不寛容や偏見など「文化的暴力」である。
 「直接的暴力」については、特に例示説明をしなくてもわかるが、例えば食料問題は、「構造的暴力」に属するものと言える。気候変動による深刻な水不足で食料を育てる土地が減少し、食料危機につながっていく。食料の大部分を輸入に頼っている日本では、問題が少しずつ浮き彫りになってきており、最近では昆虫食を取り入れようとする動きが出でいるぐらいだ。温暖化対策は待ったなしであり、世界が一つになって対策をしなければ、深刻な食料危機に陥ることは目に見えている。また、環境問題とは関係ない部分においては、円安の影響で日用品を始めとした深刻な物価高騰により、家計に負担がかかっている家庭も少なくない。こういった社会的な問題もその一つに入る。
 では、「文化的暴力」はどうだろうか。例として、ジェンダーについて焦点を当ててみる。「男は仕事、女は家庭」という考え方や、「同性愛は気持ち悪い」という異性愛でなければならない偏見などがある。これまでの日本の時代背景を見れば、こういった考え方は当たり前であった。しかし、価値観が変化してきた現代社会では多様性を尊重する考え方に変化している。そうであるにも関わらず、未だに男ならこうあるべき女ならこうあるべきという固定概念が一部の人達には根強く残ってしまっている。これは、個性を否定していることであり、そういう個性を持っている人達への暴力に他ならない。
 こういったことから、文化的暴力も平和な日常を阻害していることの因子であることに私は気がついた。そこで、このような現実を受け止めつつ、少しでも多くの人達が「平和」な日常を手に入れることができるために、自分には何ができるのか考えてみた。
(結論)
 まず、自分が正しい知識を取り入れることである。固定概念や周りの意見に影響され過ぎないことも大切であるが、その前に世の中の流れを知っていなければならない。今日も世界のどこかで平和な日常を送れていない人達は、実際どのような生活を送っているのか、また何が原因で平和な日常を送ることができていないのかを知らなければならない。言い換えれば,世界の情勢や日本国内の問題に対して、常に強い関心を持つことが肝心である。例えば、日本の経済や政治について授業で学んだ内容だけでなく、様々な文献やマスコミそしてネットなどから得た情報でもって、自分なりの豊かな知識の蔵を持つことが大切である。そのためには、情報リテラシーが求められるが、何よりも自らが知ろうという意欲が必要である。もちろん、情報を得ることはあくまでも手段であり、大切なのは行動を起こすことであることは言うまでもない。
 当然、自分たちだけが平和な日常生活を送ることができれば良いというものではない。多角的な視点を持って情報収集を行い、そこで得た情報を周囲と共有し、現状を知ってもらうこと、すなわち、そういう人達をもっと増やしていくことができれば一番よい。そうなれば、「平和」について一人でも多くの人たちに関心を持ってもらうことができ,平和の輪が行動を伴うものとなり、その輪が広がっていくことになるのだから。



関連リンク「愛の定義と七つのキーワード」2021.3.17ブログより
天頂界便り49・・最終改訂版「愛の定義と七つのキーワード」 - 創造主として、私のスピリチュアルな世界


関連リンク「二年半前、進路について孫娘が書いた文章」2020.6.29ブログより
https://konponsouzounushi.muragon.com/entry/51.html