根本創造主として、私のスピリチュアルな世界

神懸かりの体験を元に日々の私のスピリチュアルな世界をご紹介します

俳句は言霊314「金柑」・・天頂天界便り「キリスト教、仏教、そして根本創造主の宇宙観とを比べてみました」

俳句は言霊です。季語を通して、自然や動植物を愛で寿ぎます。



鳥も待つ熟れれば美味し実金柑



酸っぱさがこの実の命実金柑



丸齧り皮食む不思議実金柑



粒揃ひ熟れれば金柑黄金色



実金柑青きは鳥も食ひ残し



金柑の実が少しだけ色づき始めました。実際には冬になると熟れて色が変わります。ほおっておくと鳥の餌になります。


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天頂天界便り・・キリスト教、仏教、そして根本創造主の宇宙観とを比べてみました


仏教に天地創造の神話はありません。もちろん後の世代で、須弥山世界とか、三千大千世界といった表現はあります。これは仏教の世界観、宇宙観を比喩的に表現したものですが、釈迦にとって天地創造は絶対的な存在が作ったものではないのです。
そこにあるものすべては「因縁生起」すなわち因縁・因果の関係性で成り立った世界です。そこで、仏教には「空(くう)」という概念があります。「空」とは、この世の存在で絶対的なものは存在しない、なぜならすべてのものは変化し移り変わって行くのだから何も本質的・実体的なものはないと考えます。
また「無自性(むじしょう)」という概念があります。これもまた、この世に存在するものすべてのものは、お互いに関係し合って存在しており、唯一そのものだけで存在しているものなどないと考えます。つまり、仏教には天地創造の絶対的な神という概念は、もともとないのです。これが仏教の根底に流れるものです。


一方、キリスト教などでは、天地創造はすべて神が中心となります。そして、それは唯一絶対神となります。なので他の神の存在は否定されるのです。なぜなら唯一絶対の存在だからです。もちろん他の教えは信じることはできません。仏教は事象の関係性を説くので、どこが中心かとか決まっていません。つまり、すべてがそれぞれ中心となるのです。


根本創造主の宇宙観では、仏教と同じように天地創造を為した絶対神というものが存在しません。その代わりに、現代の科学でも、その実態は分からなくてもその存在が否定できなくなった暗黒物質・ダークマターの存在を認めることから始まります。そして、それは愛というエネルギーからなるものであると考えます。そして、その愛のエネルギーが収束した中から意識を持った愛のエネルギー体「意識生命体」が生まれ、さらにその愛の意識生命体の集合体から根本創造主が生まれたと考えます。そして、そうして生まれた根本創造主が「光よ、あれ」と意識し宣言することで宇宙が始まったと考えます。
このように根本創造主は、この宇宙は愛を基本エネルギーとする宇宙として創られたものだと考えます。しかし、根本創造主は唯一絶対神ではありません。できた根本創造主の数だけ宇宙は創られ存在すると考えるからです。
こうした考え方には二つの根拠があります。
ひとつは、宇宙神プレアデスからその存在を教えられた意識エネルギー体「意識生命体」が、実際に霊界大改革をする中で明らかに存在することがわかったことです。もうひとつは、霊界大改革から鏡の宇宙である新世界の発見までに発せられた創造主の愛の光・愛天光が、愛の意識エネルギーとして大変大きな働きをしたという事実です。
なお、天地創造から太古の神霊の誕生までは、既に公開済みですので下記リンクを参照してください。


関連リンク 天地創造から、太古の神霊の誕生そして今日まで