根本創造主として、私のスピリチュアルな世界

神懸かりの体験を元に日々の私のスピリチュアルな世界をご紹介します

俳句は言霊313「そぞろ寒」・・天頂天界便り「根本創造主の愛、キリスト教の愛、仏教の愛について、各々比べてみました」

俳句は言霊です。季語を通して、自然や動植物を愛で寿ぎます。


そぞろ寒夜風に急ぐ帰り道



そぞろ寒蒲団掻き寄す朝ぼらけ



そぞろ寒老母は早も床に就き



そぞろ寒今日も追ひ焚き終ひ風呂



そぞろ寒天頂月も冴え冴えと



日が短くなり、長い夜を迎えて、朝夕冷え込み「そぞろ寒」を感じる頃となりました。後一週間で立冬を迎えます。


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天頂天界便り・・根本創造主の愛、キリスト教の愛、仏教の愛について、各々比べてみました。


キリスト教の愛は、絶対神である神から、罪を犯したアダムの子孫である人間たちに一方的に下される慈愛のこと、すなわち「アガペー」のことを言います。ただし、慈愛と言っても、この愛は人間たちに神への忠誠を誓うことを求めるもので、それに応じないものに対しては天罰が下りますので、正確には慈愛とは言えません。
こんな窮屈なキリスト教の愛ですので、キリスト教徒同士の愛であれば、それもまた「アガペー」として認められますが、異教徒との愛はまったく受け入れられず、むしろ激しく対立してしまう結果になります。


仏教において愛は、何人も逃れられない煩悩の一つして数えられ、これを否定し乗り越えるか、素直に受け入れて阿弥陀様の慈悲にすがるしかないものと考えられています。人を愛することがなぜ煩悩なのかと言えば、愛は人の心を安楽にさせる永遠のものではなく、人を愛すれば別れもあり、すれ違い、裏切りもあり、苦も伴うものだからです。そこで、仏教では、キリスト教のような見返りを求める愛では人の心は救われず、見返りを求めない、阿弥陀様の「苦を解き楽にする」と言う意味の「慈悲」でこそ、心の安寧が得られると考えています。


根本創造主の放つ愛天光の愛は、神霊たちが心の安寧が得られるように、根本創造主がこれを慈しむという愛であり、キリスト教と違い見返りを求めない愛であります。その点で仏教の愛「慈悲」に近いものです。当然天罰と言うものもありません。ところが、慈悲ともちょっと違います。
何処がどう違うのか言えば、キリストも釈迦・阿弥陀様も尊ばれるものであり、神霊よりも遥か上の存在ですが、根本創造主は神霊たちとは「対等・自由」の関係にあります。なぜなら、創造主は神霊たちの親神であり、二者は愛のエネルギーの強さの違いにあっても、同じ愛の魂を持った対等・自由な存在であり、相互理解し、お互いに思いやりの心を持ち、お互いが信頼と尊敬で結ばれていくのを理想として考えているからです。さらに互いに協力し合って新しきものを発見、創造していくことが理想だと考えています。ですから、母が子を慈しむ無償の愛と言った方がいいかもしれません。また、子が恩ある母のことを思い、母に尽くす無償の愛と言ってもいいかもしれません。敢えて言えば、双方向的で積極的な意味での「恩愛」と言ったらよいでしょうか。仏教では恩愛も執着として消極的にとらえ、煩悩に過ぎないとされていますが。


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