根本創造主として、私のスピリチュアルな世界

神懸かりの体験を元に日々の私のスピリチュアルな世界をご紹介します

俳句は言霊1136「雛人形」・・天寿国便り「重要:昨夜は、神霊達によって、また死ぬ瞬間の体験をさせられました。こんな体験はもう何度もあるのですが、私が死について何の懼れも抱いていないので、創造主の私が死んだ時、神霊達は自分はどうなるのだろうと不安になって、私にどうなるのか教えて欲しいという気持ちから、私に死ぬ体験をさせるのです。私が地上世界を去る時、肉体から愛の魂は抜け出て自由になります。自由になるとは、愛の魂は意識生命体すなわち愛のエネルギーの集合体からできていますので、この世でまた霊世界で体験したことのすべてを持って、宇宙空間の至る所に存在する意識生命体と一体となること意味します。一体なることは、魂が拡散して消えてしまうと言うのではありません。拡散と同時に全宇宙そのものになるのですから、他から新たな経験知を貰って、より賢くなった根本創造主に生まれ変わる事を意味します。」

俳句は言霊です。季語を通して、自然や動植物を愛で寿ぎます



緋毛氈(ひもうせん)敷きて高きに内裏雛



古雛も衣は貴と綾錦



官女雛舞ふは雅の花の舞



謡ひては吹けや叩けや囃子雛



候ふは駕籠の御前仕丁雛



三月三日の雛祭りまであと二週間ほどになりました。雛人形でいろいろ詠んでみました。
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天寿国便り・・重要:昨夜は、神霊達によって、また死ぬ瞬間の体験をさせられました。こんな体験はもう何度もあるのですが、私が死について何の懼れも抱いていないので、創造主の私が死んだ時、神霊達は自分はどうなるのだろうと不安になって、私にどうなるのか教えて欲しいという気持ちから、私に死ぬ体験をさせるのです。私が地上世界を去る時、肉体から愛の魂は抜け出て自由になります。自由になるとは、愛の魂は意識生命体すなわち愛のエネルギーの集合体からできていますので、この世でまた霊世界で体験したことのすべてを持って、宇宙空間の至る所に存在する意識生命体と一体となること意味します。一体なることは、魂が拡散して消えてしまうと言うのではありません。拡散と同時に全宇宙そのものになるのですから、他から新たな経験知を貰って、より賢くなった根本創造主に生まれ変わる事を意味します。
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(続き)


そもそも根本創造主の愛の魂は、全宇宙の愛の意識生命体の集合体なのですから、こんなことになるのです。つまり、根本創造主が死ぬということは、全宇宙に魂が帰り、より賢くなって生まれ変わると言うことなのです。


神霊・霊人達にもこのことは当てはまります。根本創造主の愛の魂から生まれ出た神霊・霊人達が死ぬと言うことは、霊世界で経験してきたことを、一旦、根本創造主の愛の魂にお返しをし、新たな経験知を身に付けてまた復活すると言うことなのです。


根本創造主の愛の魂は不滅ですので、このことが繰り返されて行き、どんどん創造主も、神霊。霊人たちも賢くなっていくのです。その時、経験知は整理整頓されて愛の魂に吸収されていくのですが、その時一定の秩序をあたえるのが、根本創造主が定めた「愛の定義と七つのキーワード」なのです。この愛の定義によって、経験知は取捨選択・整理整頓され、愛と平和な宇宙に必要なものを得て、魂はより賢くなって生まれ変わるのです。


ですから、肉体から魂が抜け出る時、息苦しい苦しみが一瞬生じますが、その後は、前記のような過程を経て、また皆さんは生まれ変わるのです。繰り返しますが、生まれ変わりの時、どれだけ「愛の定義」に沿った過去生を送って来たかによって、生まれ変わった自分の魂の質も異なってきますので、愛とは何かをよく理解し、それに沿った生き方をしておく必要があるのです。


なお、根本創造主の想念の世界で生きている神霊・霊人諸君は、私が死んだ瞬間、一瞬、自分たちが消えてしまうのではないかと不安がっていますが、2023/4/3のブログでも書きましたが、創造主の魂は健在ですので、想念世界は消えても、霊世界で再び根本創造主として再生復活しますので、何の心配もありません。創造主が復活すると言うことは、皆さんもまた再生復活すると言うことなのですから。
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(追伸) 上記話題とは別件ですが、天寿国に棲む義父の霊が、また女神との間で過ちを犯してしまいました。一度目の過ちは、始末書だけで済みましたが、今回もまた同じ過ちを犯しましたので、魂をリセットすることにしました。そして、新しい子供の神霊となって生まれ変わりました。まだ子供の神霊ですので、愛の教育をしっかりと行って行かなければなりせん。もともとの義父の霊は、私に忠実な霊人で、第一神霊も務めたこともある優秀な霊人でしたが、野心家でもありました。天寿国で創造主の私を祀り上げて、その後ろから権力を握ろうとした時があり、これに失敗し失脚しました。