根本創造主として、私のスピリチュアルな世界

神懸かりの体験を元に日々の私のスピリチュアルな世界をご紹介します

俳句は言霊1110「初地蔵」・・超天上天界便り「私の家内は37年前に白血病に罹りました。そして4か月間化学療法の為、入院せざるをえませんでした。当時は化学療法に加えて、骨髄移植が始まったばかりで、化学療法だけで長生きすることはとても難しい時代でした。すなわち、再発する可能性が高く延命は望めなかったのです。そんな家内の看病をしたのが義母でした。当時は大学病院でも完全介護ではなく、付き添いが居て寝泊りできるようになっていました。そんな義母の苦労もあって、家内は副作用の肝炎も乗り越え今日まで生き抜いてきました。ですから、家内にとって義母は命の恩人で、今回義母が何も食べられず倒れてしまい入院しても、家内は義母のために献身的に働きました。」

俳句は季語を通して、自然や動植物を愛で寿ぎます



南無地蔵提灯下げて初地蔵



微笑みは子安の願ひ初地蔵



閻魔様本地は延命初地蔵



祈りなば十福ありと初地蔵



古町や辻々一尊初地蔵



今日二十四日は初地蔵です。十の福を呼ぶと言う地蔵尊をお祀りする日です。
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超天上天界便り・・私の家内は37年前に白血病に罹りました。そして4か月間化学療法の為、入院せざるをえませんでした。当時は化学療法に加えて、骨髄移植が始まったばかりで、化学療法だけで長生きすることはとても難しい時代でした。すなわち、再発する可能性が高く延命は望めなかったのです。そんな家内の看病をしたのが義母でした。当時は大学病院でも完全介護ではなく、付き添いが居て寝泊りできるようになっていました。そんな義母の苦労もあって、家内は副作用の肝炎も乗り越え今日まで生き抜いてきました。ですから、家内にとって義母は命の恩人で、今回義母が何も食べられず倒れてしまい入院しても、家内は義母のために献身的に働きました。
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(続き)


こうして、義母は何も食べずに点滴だけで3週間入院した後、意識はありましたので寝たきりになったものの、自宅に引き取られ在宅看護・介護のお世話になることになりました。そして、過去の恩から、家内は自宅にあっても一生懸命身を削って義母の介護の手伝いをしたのでした。


そんな寝たきりで食べる気力もない義母が昨日、家内に「飴玉がほしい」と一言呟いたのです。家内は点滴だけで命をつないできた義母は死を待つしかないと分かっていましたので大いに驚き、嚥下にも注意して飴玉を与え、義母の延命に望みの糸をつないだのでした。


こんなことがあったわけですが、私は自信をもって、どうしてそのような明るい兆しが見えて来たのか説明できます。家内の愛が義母に通じたのです。一生懸命、語り掛け、介護に尽くす家内の愛が、精神的にも何も食べられない状態に陥っていた義母の心の緊張を解きほぐして、自ら「飴玉が欲しい」と言わせたのです。


ところが、別の解釈をする者がいました。以上の話を私は、神霊・霊人達に語り聞かせたのですが、神霊・霊人達はそう考えませんでした。


彼等の発想から言うと、義母がそんな言葉を発することができるようになったのは、義母が自宅に帰って来た時、創造主の私の棲んでいる家ですから、家自体が愛の光で満たされていたので、私が「お母さん、お帰りなさい」と声を掛けた時点で、義母の心は癒されて、献身的に介護する自分の娘に対しても心開くようになったのだと言うのです。なぜなら、昨年亡くなった義父の場合にも、そのような場面があったからです。


義父の場合も、寝たきりで自宅療養に入ったわけですが、妻と私以外の者が声掛けをしても、その声が義父には届かず、無表情のままでした。しかし、私が「K.K.です。お帰りなさい」と声を掛けただけで、安心したのかにっこりと笑い応えてくれたのです。そしてその夜亡くなったのでした。このことを神霊達はよく覚えており、「お帰りなさい」と声を掛けた時、私が軽く愛天光を発していたこと、そのために義父は「もうこれで安心した。後をよろしくお願いします」の意を込めて、にっこりと笑ったのだと言うのです。
また、この時、義父の魂は、義父が倒れて入院した時、義父を延命させるために、私の魂の分霊が入れてありましたので、分霊がその任務を無事に終えた安堵の声が、あのにっこり笑った笑顔だったのだと言うのです。


私と神霊・霊人たちとでは解釈が違いますが、私の愛または家内の愛が義母に通じて「飴玉が欲しい」という言葉となって出て来たのは確かでしょう。もちろん、飴玉だけで延命が出来るわけではありませんが、これからも続くであろう看護・介護にとっては明るい光であるので書き留めておきました。