根本創造主として、私のスピリチュアルな世界

神懸かりの体験を元に日々の私のスピリチュアルな世界をご紹介します

俳句は言霊1105「寒暁」・・超天上天界便り「何も食べようともせず、死を待つしかない義母の退院が22日と決まってきました。そして、家族で相談し、意識ははっきりしているので、介護施設に入れずに在宅で看護と介護をして最期まで看取ることになりました。このように義母を温かく静かに最期まで看取り見送るのが、地上世界での決定でした。一方、死後、義母の霊を天寿国に受け入れることについては、創造主の私は慎重でした。彼女は「愛の定義」を一度も読んだことが無かったからです。しかも、どこも悪い所もないのに、何も食べられずに死んでいく道を選んでいるのには、ただ単に老衰と言うだけで片付けられない何か秘めたものがあるのではないかと考えたからです。そんな慎重な私に対して、神霊・霊人たちは、私が慎重過ぎではないか、むしろ聖家族として天寿国にまで速やかに昇天させるよう援助すべきだと考えていました。」

俳句は言霊です。季語を通して、自然や動植物を愛で寿ぎます



寒暁や車光連なる高速道



寒暁や目覚めは明かき窓明かり



寒暁や寝床恋しき朝ぼらけ



寒暁や雨戸に漏るる淡き影



寒暁や明けて束の間雨となり



昨日の寒暁(かんぎょう)の朝は、太陽が昇ったかと思いきや、たちまち雨が降り出しました。
・・・・・・・・・・・・・・・
超天上天界便り・・何も食べようともせず、死を待つしかない義母の退院が22日と決まってきました。そして、家族で相談し、意識ははっきりしているので、介護施設に入れずに在宅で看護と介護をして最期まで看取ることになりました。このように義母を温かく静かに最期まで看取り見送るのが、地上世界での決定でした。一方、死後、義母の霊を天寿国に受け入れることについては、創造主の私は慎重でした。彼女は「愛の定義」を一度も読んだことが無かったからです。しかも、どこも悪い所もないのに、何も食べられずに死んでいく道を選んでいるのには、ただ単に老衰と言うだけで片付けられない何か秘めたものがあるのではないかと考えたからです。そんな慎重な私に対して、神霊・霊人たちは、私が慎重過ぎではないか、むしろ聖家族として天寿国にまで速やかに昇天させるよう援助すべきだと考えていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


(続く)


このように、私が慎重だったので、神霊・霊人たちは義母の病室での様子を毎日観察し、変化があれば逐次知らせてくることになっていました。その結果、義母は、霊界に入っても、愛の宇宙に対して害することのない一人の人間に過ぎないことが分かってきました。むしろ、聖家族の一員として、天寿国の政にも参加し、良い働きをする人材であることが分かってきました。


ただ、私には最後まで疑問を抱いていたことがありました。それは、1月2日、義母が気を失い救急車で運ばれる直前の出来事でした。気を失った義母に対して、私は義母の体をしっかり押さえて「救急車が来るよ、それまで頑張って」とかなり強い調子で、義母に呼びかけをしました。が、義母は目覚めず、救急隊員によって運ばれていきました。そして、その時には意識を取り戻していました。この時の私の取った行動は、「しっかりせよ。頑張れ」と、かなり強い想念波を伴うもので、後日これを義母がどう受け止めていたか、知りたかったのです。つまり、創造主として強い想念波を送った時、義母の魂が私が創造主であると気付いてくれたか、どうか気に掛かっていたのでした。


この疑問は、神霊達が直接義母の所に出向いて、話を聞くことで解消されました。ちゃんとあの時、私が「根本創造主」であることに義母が気付いていたことが、わかって来たのです。すなわち、義母から神霊たちが直接聞いたところ、義母は「あの時気付きました。あの方は根本創造主様です。私は創造主様に堅く忠誠を誓います」とはっきり申したと言います。これによって、私の心のわだかまりは消え、義母を聖家族の一員として、温かく天寿国に迎えられることになりました。そして、こんなにも私が一個人の霊界入りに関して、慎重だったことは無かったので 神霊・霊人たちは驚き、また安堵の胸を撫でおろしたのでした。


こうして、義母は、聖家族の一員として、死後天寿国の神霊たちによって幽界から救い出されて、スムーズに天寿国に辿り着くことができることが保障されたのでした。