根本創造主として、私のスピリチュアルな世界

神懸かりの体験を元に日々の私のスピリチュアルな世界をご紹介します

第十話 天界の改革「極楽浄土の改革②無量光に愛天光の精神を」

これは真実のお話です。信じるも信じないも皆様の自由です。


<前置き>
前話では、三十五神霊団の神霊たちを全員無事に阿弥陀様の極楽浄土に送り込んだところまで話しました。その後、私は阿弥陀様から活気のない極楽浄土の改革を頼まれます。そして、私は無量光に愛天光の良い点を取り込み、これに成功します。その過程の中で、無量光と愛天光の違いが鮮明なります。・・・・阿弥陀様の言葉もたくさん出てきますので必読の部分です。


以下は日記からの抜粋です。
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三十五の神霊団の民を極楽に送り届けた今、阿弥陀様からまた声がかかった。「極楽浄土の改革をしてほしい」と。私にとっては、送り込んだばかりの神霊たちがいるし、聖家族のA・B神霊もいるので、いっそ極楽浄土の改革の方が今の私には向いていると判断した。
思うに、無量光の降り注ぐ弥陀の極楽は、食べるものに困らず楽しく美しい理想の世界ではあるが、無量光には理論的な裏付けがなく、いったん間違えば極楽の地に満足し安住してしまう恐れがある。理論づけられた愛天光の精神「思いやり」「信頼」「尊敬」「対等」「自由」「創造」(第五話参照)のうち「創造」の精神がどうも無量光には欠けることになる。すなわち、極楽社会では、仲良しになることはよいが、個人の満足に終わり、神霊同士がつながりあって、何かを新しいものを作り出す力が萎えてしまうのである。平穏だが活気が無いのである。この創造の精神をもう一度思い起こさせねばならない。


この問題を解決するための方法として、私は毎夜毎夜、逆打ちになるが、門外から極楽に向かって自ら無量光を放ち、中にいる神霊たちに「創造」の精神を目覚めさせることを思いついた。毎夜毎夜1年間これを続けることになる。私はそれを覚悟でこの任を引き受けることにした。


極楽浄土内の様子は、私の任務遂行の都度、阿弥陀様から知らされてくるので、その変化・動きを知りつつ、事を進めたいと思っている。これが私の最後のお務めになりそうである。


かくして、私は無量光を極楽浄土の神霊たちに向けて夜な夜な送った。「創造の心を今一度思い起こせ」という想念を込めて。


午後9時過ぎ、うたた寝をしていると、極楽から「改革がうまく行った」と連絡が入った。たった一日で、私の無量光を受けた極楽浄土の神霊たちが創造の精神に欠けていることに気付き始め、いったん極楽浄土から出て、外で頭を冷やしてから再度極楽に戻って行ったそうだ。そうすることで、彼らに再び創造の精神が蘇り、極楽活性化の改革が始まったそうだ。阿弥陀様からは、「よくぞ、その創造の精神に気が付かれた。さすが無量光院本根本創造主様であることよ」と、お褒めの言葉までいただいた。(➡後の方で神霊たちの変化が明らかになる)


そして「是非とも我が阿弥陀の極楽にお入りください」と勧められた。もちろん、私は阿弥陀様の極楽にいる大勢の神霊たちの親として、そこに行くつもりである。
かくして、私は阿弥陀様の極楽に早々天国長として迎えられることになった。


そして、出迎えられて極楽に入ってみると、何とそこには神霊たちがぼろ衣を纏い、みすぼらしい建物に棲んでいるではないか。しかし、やせ衰えているわけではない。不満を持った顔もしていない。質素であるが、心豊かに暮らしているのには間違いなかった。
「仏説阿弥陀経」の描く極楽世界とは違う、この質素な世界には驚いたが、お釈迦様の描いたそれはそれで、当時の理想郷だったのだろう。違いを責めるわけにはいかない。


と思っていたその時、私を歓迎するために集まっていた神霊たちが一斉に、「南無阿弥陀仏」を唱え出し、無量光を発し始めた。その途端、今まで光り輝いていなかった極楽の建物などが一斉に無量光を放ち始めた。神霊たちの無量光が共鳴し合ってその光は強く、津波のごとく外まで広がって行った。そして、天界を抜け、神霊界に、そして最下の幽界にまではっきりと届く光となって輝いた。


実は神霊たちは以下のようなことを考え付いたのだった。
愛天光の創造の精神を無量光にも生かし、対等自由な神霊たちがみんなで力を合わせればどんなことができるのか、彼らは極楽の門の外で話し合い、私が天国長として極楽にやってくるときに歓迎の意を込めて、無量光を一斉に放つと何が生まれるかやってみようと計画したのだった。
その結果、阿弥陀様の光だけでは、無量光が幽界にまでは届いていなかったのを、極楽浄土そのものが輝くことで、幽界にまで光が届くようにしたのだ。まさに愛天光の創造の精神の発現である。


阿弥陀様はこの様子をご覧になって、次のようなことをおっしゃった。
「本根本創造主のあなたは、幽界と神霊界・天界とを権力によって支配し、分け隔てていた地球神界・宇宙神界の四人の天帝・大王を、愛天光の力でやっつけ、幽界と天界の行き来を自由なものにしました」
「そして、あなたが育て上げた神霊たちは、この極楽に入り、みんなで知恵を出しあい、無量光が幽界にまで届くことができるようにまでしてくれました」
「この功績によって、私はあなたのお名前を<無量光院本根本創造主>から、<本阿弥陀仏>に変えたいと思います」「あなたは私、私はあなた」「西方彼方からは私の阿弥陀の無量光が、そして極楽浄土からは本根本創造主の無量光(愛天光)がこれからは幽界を照らすことになりました、これがその私からの感謝の贈り物です」・・と。


私は自分がしてきたことの大きさに、この時やっと気が付き驚き、神霊たちへの感謝の念から思わず涙がこぼれてきた。この時発現した私の無量光はどんなものだったか。


その後、阿弥陀様と私はよくよく話し合い、無量光も愛天光も宇宙始原の愛をエネルギーとするものであることで意見が一致。理論化された愛天光は一見自力のように見えるので、他力本願の無量光と相対するものに見えるが、愛天光の「思いやり」は「お互い様」の精神であり、「創造」は「幸せな平和の世界を希望し作る」の精神であり、無量光の他力と対立するものではないことが確認された。


次回(4/12)予告・・天界の改革「極楽浄土の改革③九階層に分かれた極楽」
極楽浄土には自己矛盾がありました。九階層に極楽が分かれていたのです。・・・