根本創造主として、私のスピリチュアルな世界

神懸かりの体験を元に日々の私のスピリチュアルな世界をご紹介します

俳句は言霊245「赤蜻蛉」・・天寿国便り「創造主の光である愛天光を通して見た、魂と私との関係」」

俳句は言霊です。季語を通して、自然や動植物を愛で寿ぎます。



赤蜻蛉旅立ち遠き鈴鹿峰



群れ飛ぶは雨後の里の秋茜



友求め水辺群れ飛ぶ赤蜻蛉



番ひては追ひつ追はれつ赤蜻蛉



夕焼けの色より赤き赤蜻蛉



長雨が終わり、避暑地であった高峰から赤蜻蛉が里に下りてきました。群れ飛び里で番となって子を産みます。


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天寿国便り・・創造主の光である愛天光を通して見た、魂と私との関係


創造主の愛の光、愛天光の発現は、基本的には私の魂のコントロール下にあります。もちろん私自身でも発現できないことはありませんが、魂の命によって発現するときの方が愛天光はよりタイムリーに発現するのです。


創造主の魂の発現する愛天光は強烈で、神霊たち霊人たちにとっては眩しすぎるほどで、創造主の魂が発する愛天光には何者も逆らえません。わたしは最近になって、そんな万能で強烈すぎる愛天光になるべく頼らないように心がけてきました。かつて創造主の権限であった神霊たちをリセットする力をできるだけ使わないようにしてきたのと同じように。


どうして、リセット権も愛天光も、これを使わないように努力しているのかと言えば、これら二つの根本創造主としての力は絶大絶対であるため、これに頼ると神霊たち霊人たちとともに、努力し歩むことができなくなってしまうからです。もっと言えば、神霊たち霊人たちの霊性進化の妨げになると考えたからです。


愛天光の場合、神霊たち霊人たちは、自ら愛天光を発現できるところまで進化しているのですが、創造主が発する愛天光は彼らのものとは比較にならないほど強烈で、これが発現されると、神霊たち霊人たちはこれに頼りきってしまうことになるのです。はっきり言えば、創造主の私が愛天光を放つことは、神霊たち霊人たちの霊性進化を妨げてしまうことにもなりかねないのです。


よって、私は魂がタイムリーに愛天光を発現してきたとき、できるだけ愛天光の光の強さを抑えるように努力しています。そして、神霊たち霊人たちができるだけ自ら光り輝けるように努めているのです。



<追伸>霊性進化の極に達し、魂とは別に自立して行動するようになった創造主の私
本ブログで説明したように、魂のコントロール下にある愛天光を、神霊たち霊人たちの霊性進化の為に、私は敢えてこれを抑制しようとしているわけです。そこまで霊的進化を遂げ、自立するまでになった私に、最近、魂は指導霊をつけてきました。霊世界にあって自立して行動するようになった私が誤った方向に進むことのないようにしたのです。では、その指導霊はどこからやってきたのかと言えば、なんと皮肉なことに私のコントロール下にあるはずの内部神霊のひとつなのです。やはり魂の方が私より一つ上手でした。