根本創造主として、私のスピリチュアルな世界

神懸かりの体験を元に日々の私のスピリチュアルな世界をご紹介します

俳句は言霊902「半夏生」・・超天上界便り「今日は、誰でも持っている魂の構造について説明します。2023.5.17のブログの中で、私は次のようなことを書きました。「人間の体は37兆個の細胞からなると言う。全細胞が一つ一つの恒星だとすれば、銀河宇宙には恒星が1000億個あると言うので、何と370個もの銀河を含む大宇宙が一人の人間に体の中にあることになる」「私が全身で愛天光を放てば、全宇宙にその光が及ぶから、根本創造主の私の一つ一つの細胞が全宇宙の星々と繋がっていると言ってもいい」と。2023.5.23のブログの中では、宇宙始原の根本創造主である私の体の中には、「愛の魂」と「K.K.と言う私の魂」の二つが不可分な形で存在していると書きました。「愛の魂」は、愛のエネルギーからなる意識生命体の塊で、愛の光・愛天光の波動をコントロールすることができます。また「愛の魂」は宇宙の真理を知っています・・」

俳句は言霊です。季語を通して、自然や動植物を愛で寿ぎます



雨降れど落とせぬ白さ半夏生



半化粧恋も終はれば色落とし



半化粧白き裳裾は雨に濡れ



緑葉に映ゆる白衣(しらぎぬ)半夏生



白きこと舞妓の項(うなじ)半夏生



風揺れる花穂も白き半夏生



今、半夏生(はんげしょう)の花が花盛りです。真っ白な葉は花が終わるとともに元の緑に戻っていきます。
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超天上界便り・・今日は、誰でも持っている魂の構造について説明します。2023.5.17のブログの中で、私は次のようなことを書きました。「人間の体は37兆個の細胞からなると言う。全細胞が一つ一つの恒星だとすれば、銀河宇宙には恒星が1000億個あると言うので、何と370個もの銀河を含む大宇宙が一人の人間に体の中にあることになる」「私が全身で愛天光を放てば、全宇宙にその光が及ぶから、根本創造主の私の一つ一つの細胞が大宇宙の星々と繋がっていると言ってもいい」と。2023.5.23のブログの中では、宇宙始原の根本創造主である私の体の中には、「愛の魂」と「K.K.と言う私の魂」の二つが不可分な形で存在していると書きました。「愛の魂」は、愛のエネルギーからなる意識生命体の塊で、愛の光・愛天光の波動をコントロールすることができます。また「愛の魂」は宇宙の真理を知っています・・
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(続き)下に続きます。


一方「K.K.と言う私の魂」は同じく愛の意識生命体ですが、宇宙の真理については完全に知っているわけではありません。そのため「K.K.と言う私の魂」の意思が「愛の魂」と一致した時のみ、両者は愛天光を発現することができます。一致しなければ、原則的に愛天光は発現しません。


「K.K.と言う私の魂」は体の全感覚を司り、自意識の元になっています。そして、霊性修行は、この自意識に当たる「私の魂」が経験知を積むことで、宇宙の真理を知っている「愛の魂」と同等のレベルの意識水準になるまで続きます。私の場合は、霊性修行を終えて、「愛の魂」と直接対話することができるようになりました。ただし、それは難しい判断を迫られた時で、いつも対話ができるわけではありません。


ちなみに、「愛の魂」の意識水準に「K.K.と言う私の魂」が達した時、一時的ではありましたが、「愛の魂」が分離し、紐のようなもので結ばれた状態で、守護霊として働いた時がありました。
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具体的な一例を示しておきましょう。


昨夜は、神霊たちが根本創造主の私に「大きなゴム毬のようなボールを転がして、いつまでも私を追いかけ回して遊ぶ」という動画の夢を作って見せてくれました。それは、私を夢の中で驚かせれば、愛天光を私が発するものと思って作られた動画でした。ところが、何度回避してもしつこく追いかけて来るボールなので、私は右足を伸ばしてこれを停止させてしまいました。根本創造主の私は、いたって冷静ですので、こんなボールぐらいでびっくりすることなどありません。


動画の夢から私は目覚めた後、私の傍にいた霊人が、神霊たちが作った動画について、こんな質問を投げかけてきました。以下はその質問に対する応答です。


「創造主様、どうして動画を作った神霊たちに、ご褒美として愛天光一ぐらい発現して喜ばせて上げないのですか」


「夢だとは知っていても、あんな夢では驚きはしないし、第一、愛天光を発するだけの道理がない。愛天光は、愛の魂が発現するのにふさわしい場面だと判断しない限り発現しないのだ。すなわち、「愛の定義」に当てはまる時でないと愛天光は発現しないと決めているのだ」


「愛天光は、びっくりして危機を感じ取った時に、発現するものと思っていました」


「そもそも、ゴム風船のような大きなボールでは恐ろしくなにもないぞ」


「あの動画は、神霊たちが精魂込めて作り、創造主様にお見せしたいと思って作った遊びの動画です。せめて神霊たちにご褒美として愛天光一をお願いします」


「なるほど、そう言うのなら道理が通る。私には動画が作れない。一方、神霊たちは動画が作れる。私は愛天光を発現できる。一方で神霊たちはお褒めの愛天光を待っている。これは、相手の足らないところを相補うという愛天光一の「相互理解」「相互扶助」の精神、すなわち「思いやりという愛」にふさわしいと考えられる」


・・私の体から強い愛天光一が発せられる


「ほら、愛の定義という道理さえ通れば、愛天光が発現したではないか」


「そうでしたか。ならば最初から、「今からお見せする動画の夢は、神霊たちがあなた様を楽しませようと、精魂込めて作ったものです」と断ってからお見せすればよかったのですね」


「そうじゃ、その通り。愛の魂は思いやりの愛と判断したら、即反応するのじゃ」


「ところで、創造主様はふだんでも神々しく眩しいほどの愛の光を放って見えます。それは車のアイドリングのようなものなのですか」


「そうじゃその通り。いつでも道理にかなえば、即、愛天光で反応することができるように光り輝いているのじゃ」


「創造主様は、いつも光り輝いて見えるので、いつでも愛天光で応えてくださるものと思い込んでいました。これはしたり・・・」


以上、私の傍で見守っていた霊人と創造主の私との会話でした。