根本創造主として、私のスピリチュアルな世界

神懸かりの体験を元に日々の私のスピリチュアルな世界をご紹介します

俳句は言霊778「枝垂れ梅」・・超天界便り「心筋梗塞・心不全・脳梗塞になっても頑張って生きている百歳の義父に昨日面会してきました。昨日は検査疲れで眠ったままでしたので、やつれた顔を見て起こさずに帰って来ました。そんな義父と私との関係について、二月初めに、あるわだかまりがあって「お父さん」と呼んだことは一度も無いと書きました。今日はそのわだかまりについて明らかにするとともに、どうして義父が危篤と知らされた時、涙がこぼれてしまったのかまで、ありままに語って行きたいと思っています。そして、現在はできるだけ苦しまないように、できるだけ長く家内の為に生きながらえることを願っています」

俳句は言霊です。季語を通して、自然や動植物を愛で寿ぎます



枝垂れ梅鳥も長枝に止まりかね



枝垂れ梅まとふは天女花衣



艶姿花に名のあり枝垂れ梅



花盛り風に香を乗せ枝垂れ梅



咲き乱る地に着くほどに枝垂れ梅



今、枝垂れ梅が長い花枝を伸ばし咲いています。枝垂れ梅にはその姿から、名があるものもあります。
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超天界便り・・心筋梗塞・心不全・脳梗塞になっても頑張って生きている百歳の義父に昨日面会してきました。昨日は検査疲れで眠ったままでしたので、やつれた顔を見て起こさずに帰って来ました。そんな義父と私との関係について、二月初めに、あるわだかまりがあって「お父さん」と呼んだことは一度も無いと書きました。今日はそのわだかまりについて明らかにするとともに、どうして義父が危篤と知らされた時、涙がこぼれてしまったのかまで、ありままに語って行きたいと思っています。そして、現在はできるだけ苦しまないように、できるだけ長く家内の為に生きながらえるように願っています。
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(続き)以下は、上記内容を受けて、現在に至るまでの私の心境の移り変わりを説明したものです


私たち夫婦は結婚して四十六年になりますが、それはそれは堅くて強い愛の絆で結ばれています。しかし、結婚して子供が生まれたばかりの頃は、どの家庭でも起きる嫁姑の問題を大なり小なり抱えていました。そして、ついに気丈夫な家内がある大病を患い乗り越えてきたあたりから、嫁姑の問題が深刻度を増してきました。その間の出来事については、お聞き苦しいので省略させていただきますが、結局、私の家庭内のごたごたを聞きつけた姉の取り計らいによって、私の母夫婦は姉の棲む三重県の方に引っ越すことになりました。


このごたごたした時、私の父と義父が口論することがあり、私もその場にいて仲裁に入ったのですが引き離すのが精一杯で、何もできず、結論は上に書いた通りとなりました。その結果、私の親の代わりに愛知の方に移って来た義父に対して、心のわだかまりができてしまったのです。以来わたしは義父の事を「お父さん」とは呼びませんでした。「お爺さん」で貫き通しました。


しかし、それから五年ほど経った1995年、私が霊の世界に目覚め、愛と平和と言うものについて真剣に考えるようになり、本格的に霊性修行が始まると、そんなわだかまりなどは小さなものとなり、それに拘泥することなく、義父とはクールな関係で平々凡々とした生活が送れるようになっていきました。


このように、現実世界では何とか表面上わだかまりを乗り越えたのですが、私が霊世界を切り拓き大霊界を築き上げていくにつれて、義父を彼の死後の世界でも聖家族の一員として加えるかどうかについて悩む時がありました。しかし、私は愛の根本創造主として、霊性修行を積み重ねることによって、過去のわだかまりを絶つことができるようになり、いつの間にか迷いは消えて、義父を聖家族の一員として受け入れることができるようになりました。それは、何と義父が倒れる前の年の事でした。


そんな時に、今年になって早々、義父が心筋梗塞と心不全を起こして倒れたものですから、危篤と聞かされた時、思わず涙がこぼれてしまったのでした。


そして、聖家族として義父は認められたわけですから、義父が危篤の時、私は急遽義父の魂と入れ替えを行って義父を危険状態から救います。そして、義父が脳梗塞を起こした時には、私の体にも明確な異変が現れましたが、これも乗り越え、落ち着いた今は、私の分霊を義父の中に入れて彼の命を支えることにしました。


これからは、むやみやたらと義父に延命治療を受けさせることはしませんが、何の痛みもなく、家内の為にできるだけ長く生き伸びらせたいと思っています。そしていつかは霊界入りすることになりますから、その時は聖家族の一員として、私の母同様、愛の霊世界に迎え入れることにしたいと思っています。それに対して、神霊団も全面的に応援してくれることになっています。できれば、西行法師の辞世の歌「願はくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃」のように、桜の花を眺めさせてから逝かせてあげたいと思っています。