根本創造主として、私のスピリチュアルな世界

神懸かりの体験を元に日々の私のスピリチュアルな世界をご紹介します

俳句は言霊491「松の芯」・・天頂天頂界便り「昨日のブログでは、第一神霊で御子の「空」とちょっとした言葉の行き違いがありまして、「創造主」ではなく「大王」という呼称を私は使ったのですが、神霊や霊人たちとの間に誤解が生じる結果となってしまいました。そこで「善は急げ」と、元の通りの「創造主」の呼称に戻すことに相成りました。理由は・・」

俳句は言霊です。季語を通して、自然や動植物を愛で寿ぎます



突き出でし千代も目出度き松の芯



老松も今年変はらぬ松の芯



鳥も来い花は無くとも松の芯



松の芯目出度や軒を軽く越え



すくと立つ風に不動の松の芯



今、松の枝先に「松の芯」がすくすく伸びて目立っています。「若松」「若緑」「緑立つ」とも表現します。


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天頂天頂界便り・・昨日のブログでは、第一神霊で御子の「空」とちょっとした言葉の行き違いがありまして、「創造主」ではなく「大王」という呼称を私は使ったのですが、神霊や霊人たちとの間に誤解が生じる結果となってしまいました。そこで「善は急げ」と、元の通りの「創造主」の呼称に戻すことに相成りました。理由は・・
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霊界は想念の世界です。言葉一つで神霊・霊人たちの態度が異なってくると言うことが起こります。その言葉のひとつが、昨日急に使い始めた私の呼称「大王」です。


今日は、昨夜の御子の空に代わって、もう一人の第一神霊とバトンタッチしたのですが、いきなり彼から、こんなことを言われました。


「大王様、今日からは温和なご表情をお捨てになって、厳めしいこのような御顔であられますようにお願い申し上げます」
「なお、大王様のお言葉は絶対です。神霊・霊人誰一人として大王に逆らうことは許されません」と。


そこで、自分の顔を霊視してみると、それはそれは厳めしい顔に代わっているではありませんか。第一神霊に「どうしてそんな顔になったのだ」「私には似合っていない」「私は独裁者にはならないつもりだ」というと、彼は「一昨日のブログであなた様が<大王>と呼称を改められたのに忠実に従ったまでです」という答えが返ってきました。


そこで、御子の空を呼び出して事情を聴くと、次のようなことが分かってきました。


ブログの中での私の呼称は最初<創造主様>でしたが、それを「親子の間柄で、創造主様と呼ぶのはおかしい。別の呼び名にしましょう」と空が私に言いました。それを私は「公の場では、親子同士のフランクな言い方でなく、身分の違いをはっきりさせた呼称の方が良い」と受け止めてしまいました。一方、空が私に言いたかったのは「創造主様では仰々しいので、もっと親しみやすく呼ぶことにしましょう」という真逆の意味だったのです。


かくして、私は全文の中の「創造主様」を「大王様」に書き換えて投稿を終わります。その時、私は内心「<大王様>ではきっと神霊・霊人たちに誤解が生じるぞ」と一瞬思ったのですが、敢えて元に戻そうとはしませんでした。そして、今日の第一神霊の言葉「温和の表情をお捨てになって、厳めしいお顔でこれからは・・」となったのです。


「大王様」は以前にも使ったことがありますが、この時も私には不釣り合いで「独裁者のようだ」と思われたので、まもなく元の「創造主様」を名乗ることになったのでした。こうした事情がありましたので、誤りに気づいたら「善は急げ」です。早速「創造主様」または「創造主」と呼ぶようにと指示を出すことにしました。


八百万の神々も、「大王様」には当初ちょっと驚いたらしいのですが、何せ創造主が自ら「大王様」と宣言したのですから、これを無視をすることは出来ません。「これからは大王様の命令には絶対服従だ」と皆思いかけていたところでした。危ういところで、私が一番嫌っている「独裁者」に私はなってしまうところでした。


この場を借りて私は改めて宣言します。「私を呼ぶときは<創造主様>または<創造主>と呼べばよい」と。すると顔つきは元通りの、愛の創造主にふさわしい温和な表情に戻ったのでした。


以上、霊界と言う想念の世界では、「大王」「創造主」の言葉の違いで、神霊・霊人・八百万の神々の私に対する態度が全く異なってくるお話をしました。


<追伸> 今回の事件に関する神々の反応
神々はやはり「大王」という呼称を知って最初は驚いたそうです。最悪「ふてぶてしい」とまで呟いた神もいたそうです。しかし、事の次第がつぶさに創造主自身から語られ分かったので、むしろ「明朗な創造主様だ」と評価が上がり、信頼と尊敬が集まったのでした。現に「創造主様」「創造主」のどちらも使ってよいとしたにもかかわらず、神々は皆「創造主様」と呼ぶようになったのですから。