根本創造主として、私のスピリチュアルな世界

神懸かりの体験を元に日々の私のスピリチュアルな世界をご紹介します

俳句は言霊789「花馬酔木」・・超天界便り「今日は、心筋梗塞・心不全・脳梗塞の三つの障害を乗り越えて、今もベッドの上で生き続けている百歳の義父のその後の様子をお知らせしたいと思います。そして、父の不遇を悲しみ、途方に暮れている家内の様子などをお話しし、霊界に生きる者として、どうしたら安寧な気持ちになることができるのかをお話ししようと思います。昨日、主治医と三回目の面談があったのですが、医師からは最後通牒とでも言うべき言葉が我が夫婦に告げられました。百歳の義父は今も意識があり、言葉ははっきりとしてはいませんが意思表示は出来る状態にあります。そんな生命力の強い義父ですが、医師からは「延命治療は受けないとのことでしたので、現在、点滴で一日わずか数百カローリーの栄養で命をつないでいる状態です。いずれその時期が訪れる事を覚悟しておいてください。普通の患者さんなら・・」

俳句は言霊です。季語を通して、自然や動植物を愛で寿ぎます



白房も日に赤らめり花馬酔木



花の鈴振りて鳴らさん花馬酔木



舞姫が花の簪(かんざし)花馬酔木



蜂隠る房は鈴生り花馬酔木



甘き香や身も酔うほどに花馬酔木



豊けきは白き花房花馬酔木



今、馬酔木の花が満開です。鈴なりに白い鈴のような小花をびっしりと付けます。
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超天界便り・・今日は、心筋梗塞・心不全・脳梗塞の三つの障害を乗り越えて、今もベッドの上で生き続けている百歳の義父のその後の様子をお知らせしたいと思います。そして、父の不遇を悲しみ、途方に暮れている家内の様子などをお話しし、霊界に生きる者として、どうしたら安寧な気持ちになることができるのかをお話ししようと思います。昨日、主治医と三回目の面談があったのですが、医師からは最後通牒とでも言うべき言葉が我が夫婦に告げられました。百歳の義父は今も意識があり、言葉ははっきりとしてはいませんが意思表示は出来る状態にあります。そんな生命力の強い義父ですが、医師からは「延命治療は受けないとのことでしたので、現在、点滴で一日わずか数百カローリーの栄養で命をつないでいる状態です。いずれその時期が訪れる事を覚悟しておいてください。普通の患者さんなら・・
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(続き)以下は上記内容の続きです。


普通の患者さんなら、もう亡くなっておられますが、さすが百歳まで生きて来られたこともあって、早一か月が過ぎました。生命力が強いお方なので、あと一か月か二か月は頑張られるかもしれません。しかし容体が急変と言うこともあります。・・・」と告げられました。


実は、医師のこの言葉は覚悟していたのでまだいいのですが、これ以外の医師との言葉のやりとりで、医師と悲しみに暮れる家内との間にちょっとした心の溝ができてしまい、ますます家内の心は落ち込んでしまいました。心の溝についてはこれ以上書くのを控えますが、深く傷つき、悲しみに暮れる家内をどう励ますのかが、夫である私の務めとなりました。


そこで、根本創造主として霊界で長く生活してきた者として、次のような言葉を家内に発し心を癒そうとしました。以下は妻と私との会話です。


「お前は、死んでいくであろうお前の父から何を学んだのか」


「私の父は、私を深く愛し育ててくれた人です。私が大病に倒れた時も温かい気持ちで見守っていてくれました」
「ですから、私は毎日やせ衰えて行く父の顔を見るのが辛くて辛くて仕方がありません」


「お父さんは、情の深い人だったのだな。他には無いか」


「お父さんはとても我慢強い人でした。黙っていても自分の意見をしっかり持っていた人でした」


「そうか、ならばお前はどうだ。夫の私から見て、お前は我慢強いし、自分の考えもはっきり言う人間だ。そして何よりも情の深いのが長所である」


「おっしゃる通りです。私は情の深い人間です。我慢強いし、自分の考えもはっきりしています」
「あなたが長期入院された時もそうでした。冬の寒い朝、雪が降る日も、片道三十五キロの道のりを毎日欠かさず、面会に出かけ、あなたを励まし続けました」


「その通りだ。私は霊界と言うものをよく知っている。あの世を堅く信じているし、根本創造主として深く霊界とは関わって来た。死んだ両親と会話も交わせる。ゆえに死そのものに対して不安も何も持っていない。しかし、お前はそんな私が今もって理解できていない。お前の父親が亡くなっても、いつか落ち着いた頃を見計らって、お前の父との取り次ぎをしてやっていいとさえ思っている。もちろん、お前はそんなことは望まないだろうが」


「そんな霊界の話は止めて頂戴。私はあの世の事など信じてはいません」


「そうか。そうならば、こう考えてみたらどうか」


「たとえお父さんが亡くなっても、死後、お父さんがお前の中に息づいて生きていると考えたらどうか」
「お前は、義父そっくりになった。我慢強く、意見もしっかり持っている。しかも情が深い。これはまさしく、お父さんそのものがお前の中で生きている証拠じゃないのか」
「たとえ、お父さんがいなくなっても、深い絆でお父さんとお前は結ばれているのだ」
「お父さんの体はこの世から消え去っても、お前の心の中でお父さんは確実に生き続けているのだ」
「親の恩など忘れてしまう者が多い中で、お前は異質かもしれないが、父親をデイサービスにも通わせず、ひたすら私と共に衣食住見守り介護し続けてきた。よくやった」
「お前はお爺さんの体を愛しているのではあるまい。お爺さんの心根に対して愛情に対して感謝し、お爺さんを愛しているのだろう」
「お爺さんの魂は、既にお前の中に受け継がれ生き続きているのだよ・・」


「そうなんだ。確かに私はお爺さんの愛の心を受け継いで、情の深い女になった。我慢強さも、はっきりとした自分の考えをもっている」
「お爺さんの心が魂がすべて、私の中に宿っているのね」
「・・そんな風に考えると、毎日お爺さんのところに、着替えを持って行っても、お爺さんが違って見えて来るわ」
「お爺さんが会う度にやせ衰えていくのは、私の体にお爺さんがどんどん乗り移ってくるから、その分やせ衰えていくのだと考えていいのね」


「そうだよ。そこまで君が到達できたのなら、死なんて怖くない。息子・娘を見てごらん、お前の人柄がよく理解できる、時にはアドバイスもしてくれる子供たちに育っただろう」
「お前が死んでも、子供にお前の心が魂がコピーされて行ったからだよ」
「だから、親は自然に子供には愛情を注ぐのだよ・・」


こんなような会話が妻との間でなされたのでした。ちょっと話が横道に外れますが、親子の絆は単にDNAが受け継がれていくだけではなく、親の魂が心がこうして代々受け継がれていくものなのですから、子供に対して親はどう接していくべきかも自然に分かって来ますね。